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「西行の肺」Ⅲ

吉川先生と言えば、みずみずしい相聞歌と思っていた。
もちろん「西行の肺」の中にも妻、息子、娘を想う歌も
たくさんあるのだけれど、自然詠の良さに気づかないで
いた私にとっては、或る意味カルチャーショックだった。
自然詠というのだろうか、心情と自然がシンクロして
いて、そこに奥行きと深さを感じた。
そのような中に時折叫びのような歌が、顔を出す。
立ち止まらずにはいられなかった。


この世から抜かれてゆくのは夕暮れにしてほしい 松黒くなりつつ

雪空よ さびしきことぜんぶ言う人のいなくてみずからに言う

空間を残して死者は去りゆけりそこにガラスの風鈴吊るす


思ったとおり、それ以上に読み応えのある歌集だった。




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「西行の肺」Ⅱ

身体は日々つくられていて月光にはじめて触れる細胞もある

ゆっくりと身体のなかに入りきて春はおおきな花びらである

ぐいぐいと月をはこんでゆくような雲あり通夜の家をいづれば


日々なんとなく過ぎてゆく時間のつかのまを逃さぬような歌に
惹かれる。
そのつかのまにおきることを、しっかりと体で受け止めてそれと
ともに歌にしてちゃんと残されているというところが好き。
短いか長いか・・・・・31文字は。
この歌集の一首一首を長い31文字と思った。


死にゆきし人の机を掃除して『話し方入門』などを捨てており

この歌は特に長いと思った。

なんだろう?口語短歌は少ないのだけど、文語が口語のようだと
感じる。
何か語りかけられている感じがする。
うまく言えないのだけど・・・・・・・


「西行の肺」ようやく読む

ずっと以前から読みたいと思っていた「西行の肺」。
吉川宏志歌集は、できれば第一歌集から順に読みたいと
思っていて、でも早くこの歌集も読みたいとも思っていて
そうこうするうちに一年も過ぎてしまいました。

びんびんと窓に筋引く雨が見ゆ引き返せこの雨を理由に

「びんびんと」と「雨が」の「が」がとても効いていると
思う。


ゆうぐれの川のむこうをあゆみゆく人ともおもう或る日の妻を

「人ともおもう或る日の妻を」
いろいろなものに変化してゆく妻なのだろう。
なんとも言えないリズムの良さを感じる。
素朴でありながら巧みと思う吉川先生の歌は、やっぱり私の
イチオシです。

初句、きっちり五音で始まる歌が多く、やっぱり定型の特に
初句を五音に納めるというのは大事と感じた。
そのリズムの良さが、後を引く読後感につながると感じた。


歌集探訪Ⅱ「駅へ」

Ⅰをupしてから随分間が空いてしまってすみません。
引きたい歌が山ほどあって、全部載せてしまいそうになる。
しかも、一首一首の鑑賞記事を書こうとすればするほど
私の受けた感覚からズレてゆくような気がして、なかなか
書けないでいました。
でも、もう既にやりかけたこと。
上手く表現できないかも知れないけれど、最後まで書こうと
思う。

松村正直氏の「駅」へ


自らの吐き出した息を吸い込んでまた吐き出して閉ざされていく

天井の広さすなわちこの部屋の広さ どこに何を置こうが

雨の降る夢から覚めて雨の降る窓眺めおり車が通る


ひとり居の孤独感が、ひしひしと伝わってくる三首。
部屋には、自らの吐く息と家具。それがあるのみ。どこにも
作者自身の直接的な感情は書かれておらず、それだけに
伝わってくるものがあると思う。
一首を読む人が、きっと皆同じような景を想像することが
できるでしょう。それが松村氏の作品の一番素晴らしいところ
ではないかと私は思う。
作者と読者の間でブレることない景が描かれていて、まさに
共有することができるのだから凄いと思う。


坂道をのぼった先の陽炎のけれど僕らは比喩じゃないから

お手を触れないでください永遠が動き始めてしまいますから

語るほどに小さくなってゆく恋の日暮れ堤防に空缶ふたつ

待つように言ったら待ってくれたろう二十分でも二十年でも


恋の歌を三首(もっとあるのですよ?^^)
恋愛に於いて、消極的である。
でも単に消極的な性格なのだろうか?
それとも何かを恐れているのだろうか。
私は少し違う気がする。
自由であるフリーター、しかしながらその不安定さは作者に
クールであれと教える。
クールであらねばならないということかも知れない。
それを心の深いところで言い聞かせているように感じた。
恋愛に於いて消極的で、クールであるのも理解して欲しいの
かも知れないが、それ以上に相手を傷つけたくない。という
心の表れではないだろうかと思う。
個人的には、その目論見のない不器用さに惹かれる。


むしろ当たり前のさびしさなのでしょう食後二錠とでもいうように


と、ひとりの時には思う作者のことをそっと教えてあげたい気持ちになった(誰かに)


「駅へ」を読んでいると、風景に、人に、物に私自身もよく感じることが
松村氏の手によって短歌となっていると思うことが何度もあった。
下手糞な私に成り代わって、代弁してくれたようで凄く嬉しかった。
その一首一首の言葉選びは的確で、巧みと思う。


アパートの窓にも訪ねてくる月の淡い光の中に眠ろう

水割りの氷もみんな溶けたなら何を頼りの夜なのだろう

体臭も声も呼吸も記憶して部屋は日に日に内臓化する




歌集探訪

ご本人にお願いして送っていただいた歌集、
松村正直氏の第一歌集「駅へ」をもう四度ほど繰り返して読んでいます。

20代後半の松村氏の作品。
彼の四年間のフリーターをしながら日本各地を転々と移り住まれていたその
生き方は、若い男性であれば憧れる人も多いであろう。
かつて、7000円だけポケットに突っ込んで、突然に東京へと出て行った
男友達のことが思い出された。
「駅へ」ではそういった時代から、結婚するまでのそのままの松村氏に
出逢える。
それは決して綺麗ごとではなく、「自由」であることの厳しさ、孤独感が
ひしひしと伝わってくる作品となって、読者の心を捉える。


土手道のすすきよすすきどこまでも僕の忘れた人の数だけ

雲天を支えきれずに縮みゆく電信柱を責める気はない

表からしか見たことのない家が続く やさしく拒絶しながら

ネクタイをしている首としていない首 二種類の首があります

ざらざらの夕陽は窓を突き破りしばらく僕をざらざらにした

カウンターだけの小さな居酒屋に客は横顔だけを持ちよる


歌集冒頭、ラフに生きる選択をされた松村氏の生の声が載る。
タイトルは「フリーター的」であり、この「的」という言葉に
ある種、自分への挑戦のような印象を私は受けた。
又、単に勝手気ままに生きるのではなく、何か一本の「芯」の
ようなものを携えている気がする。
冷静に自身をみつめるもうひとりの自分が存在していて、容赦なく
自分に切り込む。


最初の旅は函館。


日の落ちて噴出す風の寂しさは分かれ道その右も左も

抜かれても雲は車を追いかけない雲には雲のやり方がある

エキストラばかりが歩く雑踏の空へ逃げ出せ青い風船

この風と決めて飛び立つたんぽぽの綿毛の行先を尾行せよ


特にこの最後の歌が私は好き。
このように、松村氏の旅は始まり、その物語性からどんどん
読み進めたくなる。
しかしどうかするとその読みは浅くなってしまいがちになる
ので、何度も繰り返し読むことをお勧めしたいです。

ここまで、まだまだ冒頭部分。一度に記事が書けず、何部かに
分けて書きたいと思います。今日はこのへんで・・・・・・


「神の翼」より気になる短歌

嵯峨直樹さんの第一歌集「神の翼」より気になる短歌

その2

恋人との出会い~社会に於ける自分~恋人とのこれから

それらが交わりながら、この一冊はひとつの物語のようになっている気がします。

その物語の始まりの頃、こんな歌がありました。

海へいく道路の脇の自販機で買ったコーラはまだぬるかった

「コーラはぬるかった」ではなくて「まだぬるかった」
自販機に入れられてまだ時間があまり経っていないコーラのぬるさに似た、恋の始まりだった。
えっ、また私の都合にあわせて読んでしまってますか?

しかし、特に「コーラ」がぬるいと甘さが勝つもの。
喉にカーーッと来る感じは少なくて、甘さだけが残る感じ。
「静かに始まった恋」として私は読みたいのです。

そののちの

櫛でとく髪の匂いが広がって未だ見ぬ世界もう見た世界

という歌では髪の匂いに作者自身が包まれる距離は近く、想像していた恋人の姿が現実化してゆく。
女性が男性の目の前で髪をとくという行為は、心許すということの表れであろう。
少しずつ解き放たれる心を髪をとく匂いから作者は感じとっているのではないだろうか。
その一瞬のできごとを丁寧に拾い上げているところに、嵯峨さんの人柄がうかがえる気がします
最初に抱いた恋人の姿は確かだったのか、そしてもっともっとまだ見ない世界へと進んでゆきたい。
いつも恐る恐る進んでいる私には、そんな風に読めました。

でもあまり多くを語ると、まだこれから読もうとされる人に叱られちゃうので、あまり多くは語らずにいたいと思います。(って充分に語ってしまっていますが(汗)
それに、やっぱり短歌にはその中に言葉では言い尽くせないものが見え隠れしていて、それを形にすると、壊れてしまう気がします。

常に逃げることなく自己と向き合い、客観視して詠われた短歌ばかりで、それを他人が読んでいるということのギャップを少しでも少なくしたいという思いではありますが。

この歌集は、丁度初夏のこの時期に読むにはぴったりです。
ゆったりとした幕開けから少しずつ加速してゆく「焦り」や「不安」そしてそののちの未来へ向けて、約150ページの旅。
私もゆっくりと、その旅に触れてみたいと思っています。






「神の翼」より気になる一首

嵯峨直樹さんの第一歌集「神の翼」より気になる一首。

その1

欠けているものがあるんだ霧雨と海の交わる場所のかなしさ


「霧雨と海の交わる場所」ただの雨ではなくて、霧雨なんだね。
その場所というと、地平線なのだろうか。
地平線と言えば、太陽が顔を出し、そして沈む場所。
「欠けているもの」とは、朝陽であり夕陽なのだろうか。

登りきった太陽はその眩しさに思わず目を背けてしまいそうだけど、この場所にある太陽は、海の風景を一層際立たせる存在として、人の心を魅了する。
そういう存在感が、今の私には欠けていて、どうしてもその方向でこの歌を読んでしまいます。

また違う人が読めば、違う感性で読むのだろう。

「共感」って不思議なもので、私に映るこの歌は作者の思いとは別のものかもしれないけれど、読む主人公である私にとっては、作者と共感できた気になっている。

それにしても、悲しさとか寂しさとかそういうものを感じさせる歌ではあるけど、何か少しだけ明るい点が見えるような気のするこの歌には救いがある気がした。

今日思うこと。

2月から走り(歩き?^^)出した題詠100首ですが、あと一首で丁度半分の地点まで来たことになります。

そのあと1首で躓いているのですが(汗)

それでもここまで来れたのは、この拙ブログを見に来てくださる方々がいらっしゃるということが私の励みになっていたからだと思います。
ありがとうございます。

又、陰ながら「ポチッ」と拍手ボタンを押して行ってくださる方、本当にありがとうございます。

さて、今日は題詠のほうはちょっとお休みして、一冊の歌集を読んでおります。
その中の一首をご紹介したいと思います。

笹井宏之さんという歌人が今年1月に若くしてお亡くなりになってから、100日が経ちました。

100日経とうと1000日経とうと私の手元の歌集は生きつづけているのですが、その「ひとさらい」という歌集の中に私が生涯忘れないだろうと思う歌があります。

一生に一度ひらくという窓のむこう あなたは靴をそろえる

という歌です。

いろいろな読みができる歌だと思うのですが、私はこの歌を読んだときに「誠実」という言葉が浮かびました。
真の心を開ける人は、そう世の中にはおらず、一生のうちに一度出逢えるかどうか。
そういう人(物)に出逢え窓を開く前には、靴を揃えるというのです。
この歌の中の「あなた」とは、きっと特定の人のことではなく、笹井さんのメッセージとして読む人に送られたものであると、私は思いました。
「読み」は、そのときの読み手の心境に大きく左右されるのだろうと思うのですが、今の私は、「誠実であるということ」として語りかけられているように解釈しています。
しかし、10年後は違う解釈になっている私が居るかも知れません。
そう考えると「31文字の威力」は凄いものなのだなと思います。
そして今も、これからも私の中からこの歌は消えることはなく、ずっと生きつづけて支え続けてくれるのでしょう。
笹井さんの短歌には、このように、たくさんのメッセージが残されている気がします。
100ページほどのこの歌集。
まだまだ読みきれてはいないのです。
それほど重みのある深い内容となっています。
「あなたの一番好きな歌はなに?」と聞かれて、あまり一番はこれ!二番はこれ!三番は・・・・
とは答えられないのですが、「一生涯忘れられない歌は?」と聞かれると、この歌です。
と答えます。

人の心の中でずっと生きつづける歌。素晴らしいな。

それから、「ひとさらい」を読むたびに「良い歌は良い人柄から生まれる」のだろうということを思います。
改めて、そのことを思い出させてくれた一冊でした。






一冊の歌集より

先日、一冊の手作り歌集が届きました。(正しくは二冊なんですが^^)

短歌のラジオ番組に投稿している方の仲間で作られている(ぱふゅ~ま~ず)の中のお知り合いが作られた歌集「やわらかいと納豆」(伊藤夏人さん)です。

もう一冊は、そのメンバーのアイドル「ゆず」さんの歌集。
(ゆずさんの歌集のことは、また後日、ご本人の許可を得てから書きたいと思います。

で、

その「やわらかいと納豆」の歌集の中から私のお気に入りを、こちらに残しておこうかと思いました。

その前に!

このタイトル。「なんで納豆なん??^^」といつも不思議に思っていたのですが(ブログのタイトルも同じ)歌集のタイトル「やわらかいと納豆」という文字を本に穴があくほど暫くじっと見ていて・・・・・・

あーーーーっ!!!!わかった!!!!!!(今頃)

まぁ、私のことは皆様ご存知のとおり、ちょっとテンポが普通の人よりやや遅れ気味というか、天然というか・・・・・(汗)
なんですが、この作者のお知り合いになってもう、一年も経つというのに、やっと意味がわかったというわけです。

伊藤夏人、いとうなつと、いとーなつと、(途中略)・・・・・・いと納豆!!!

その喜びでまず半日はしゃぎ、さぁさぁ中身は。

と、文庫本サイズの小さな歌集を開いてみると、文字は手書で書かれていて、タイトルのとおり「やわらかい!」

「みつを」を思わせる、しかし、みつをよりもう少しやわらかい感じ。

そして、そこには「やわらかい短歌」が載せられておりました。

味噌汁に何を入れるか迷ったら僕と一緒にアサリをとろう

のんびりした歌が数ページめくると出てきました^^
朝のお味噌汁の具のはずが、飲めるのは夜になりますネ^^

しかし、この時間に追われる時代。
「まぁええやん! アサリでも取りにいこうよ」なんて言われたらグッときちゃいます。
毎日が忙しいからこそ、この短歌が生まれたのかも知れませんね。

同じような歌がもうひとつ

砂浜で助けなければゆっくりと歩めましたかもしもし亀よ

「歩めましたか」と丁寧語で表されているところに、この作者の人柄がうかがえます。
それとともに「やわらかさ」が感じられ、読む人をもその優しさの中に引き込んでしまう。
例えば、心がささくれているとき、例えば、ピリピリしているとき、これを読むとなんとも不思議な感覚になってしまう。

ポストには入りきらないあなたへの恋を玄関前に置きます

ラジオ短歌が、去年の暮れにTV特番をしたときに、穂村弘さんが番組中で読まれた歌ですね。
「愛」と言いがちのところを「恋」と言っているところに、この作者らしさが表れていると思いました。
「愛」はある意味、押し付けがましくもあるかもしれません。
「恋」は自分だけのもの。
控えめで、内に秘めたもの。
これを玄関前に置いたらしいのです^^

ピンポン押して、いあードアを叩いて、呼び出したいけれど、それができないでいる時間が「恋」かもしれないし、そういう理屈を抜きにしてこの一首全体がきっと暗喩になっているのだろうかなと思いました。

線香に火をつけようとする度にあなたが吹いてなかなかつかない

この歌もさっきの歌の続きのような気がします。

そしてこの他にもたくさん柔らかい歌が載せられている歌集の最後には

弾かれた玉です僕は 弾かれた玉です君に 弾かれた玉

伊藤さんの代表作といえる歌で締めくくられています。
この歌は、縦書きにするともっと味わい深く感じられるのでしょうが・・・
恋を玄関前に置いてみた。線香に火をつけたかったけどなかなかつかなかった。
そして弾かれた・・・・・
という感じで、この一冊、一気に読み上げるとしみじみとした余韻が残ります。

手作り第一歌集「やわらかいと納豆」の最後のページに「字と画」は奥様が担当されたと記されていて、最後の最後まで柔らかな気持ちにさせられました^^

時折は、これを手にして、やわらかくなろう~と思いましたが、これはきっと伊藤さんにハメられているのかも知れませんネ^^


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